ここ2年弱の忘備録

 

この2年弱の間、薄目で現実を見ていたヲタクの色々な感情をこの場を借りて昇華させたい。

 

 

2018年11月

忘れもしない。あの日普段なら見ない私はミ○ネ屋を見ていた。

 


「速報です。SexyZoneの松島聡さんが............」

 


 


全く理解が追いつかないまま午後の授業のため学校に向かった。

友人が励ましてくれたことはすごく覚えている。でも、なにより理解が追いつかない、分からない。今夜は5人とエンケンさんがコラボだよね??????

 


時がすぎ、4人での活動を何度か目にすることで何が起きているのか自分の脳がやっと追いついてきた。理性的に考えようとは思うけれど、どうしてもいつぞやの理不尽な時代を思い出してしまう。あの時代がなければ、あの時代の事情に納得がいっていれば、必要以上にモヤモヤすることは無かったのだろうか。

 


同時期に同じような状況にあったKing & Princeではお休みしているメンバーの話をよくしている。比べることは御法度だというのは重々承知しているが、その差が意味することをどうしても勘繰ってしまう。

 

 

 

 

 

 

時間というものは敵か味方か、私の中である種の慣れに近い状態に入った。というか、事実だけをポジティブに捉えなければやってられないと思い始めた、の間違いである。ネット上に溢れる根拠のないネガティブな情報を一切受け入れなかったし、口にもしなかった。何度周囲の人に聡くんは大丈夫、帰ってくるよ、と言ったことか。今だから言えるけれどもアレは自分への言い聞かせでしかなかった。

 


4人なりの葛藤があったようにも見えたが、なんだかんだそれまで通りの活動をしてくれて、たくさん尊い自担を供給してくれた。そんな状態で安定してきた頃、旧知の友人がSexyZoneにハマった。友達を沼に連れ込むことに生きがいを感じている私はノリノリで過去映像を見せまくり、沼に嵌めた。彼女はヲタクとしての自我を持ちはじめ、語り合えるようになるまで成長した。

 


その語り合いの中で気がついた。

私、今、SexyZoneのヲタクではない。自担のヲタクだ、、、と。グループとしてのSexyZoneの話をする彼女と、自担とその仲間たちの話をする私。

そのギャップには驚きと罪悪感からかなり苦しめられた。別Gのヲタク友達に泣きながら私、降りるのかな?と聞いたほどだ。(友人よ、あの時はめんどくさいこと言ってごめんね笑)

 

 

 

 

 

 

その直後だ。メンバーが急に聡くんの名前を頻繁に出し始めた。私の野生の勘が勝ちを確信していた。ただ、セクゾ担として自信を失っていた私は、SexyZoneが完全体になったところで再びグループのSexyZoneとして愛せるだろうか、という懸念は拭いきれなかった。

 

 

 

 

 

 

 


そして復帰のお知らせ。

直後の4人で出演したMステ、メンバー4人が聡くん聡くん松島松島言っている姿がそこにはあった。もう、涙が止まらなかった。

普段、周囲の人間から感情がない人と思われている私。自分でも気がつかないうちに涙が流れ、太ももに涙が落ちて初めて自分が泣いていることに気がついた。堰を切ったように笑いながら泣いた。あの日のパフォーマンスは泣きすぎて全然見えなかったよ。

 


そして来るMUSIC DAY

ヲタク3人で見ていた。お酒の力も借りて、シャッフルメドレーや他のグループのパフォーマンスに茶々を入れる余裕はあったが、どうもソワソワが止まらない。

松島聡復帰のニュースを伝える映像が流れ、5人が映る。祈るように画面に見入っているが既に心臓はバクバクである。もう何も入ってこない。曲が始まって、見る事に神経をフルで使っていたからか、友達といたからか、不思議と涙は溢れなかった。よかった。今日のパフォーマンスはちゃんと見れた!そう思った直後のサビ終わり、聡マリ背中合わせ、もう視界はゼロだったよ。

 

 

 

 

 

 

 


そして現在に至るわけだが、自分でもびっくりするほど、SexyZoneのヲタクをしている!ハマりたての頃の勢いで彼らを愛でている。今だからできるお話もメンバーの口からたくさん聞けて、もう何の心配もないし、なんの心配もいらなかった!と笑みが止まらない。この2年弱の間にSexyZoneに抱いていた心配は全て杞憂に過ぎなかった!こんなに晴々しい気持ちはいつぶりだろうか!

 


そして結成10周年イヤーに突入した。STAGEの時に風磨くんが言った「何もない5年より何かある5年」が当時妙に響いていたことを思い出した。彼は過去の事を暗示していたのだろうが、こんなにも未来へのフラグになるとは思わなかった。何かある5年。良いことであれ悪いことであれ、まさにその通りだと痛感している。雨降って地固まる。これは私の妄想に過ぎないが、某理不尽な時代でさえ、大人によって作られた「雨」であるとしたら、してやられすぎていて、、、もはや笑える。

 

 

 

 

 

 

 


結局私はSexyZoneが大好きだ!

5人でいることの尊さ、大変さを身を呈して教えてくれてどう感謝の気持ちを伝えていいかわからない。このご時世何があっても不思議ではないが、地が固まった彼らは強いはずだ。SexyZoneがSexyZoneである限り、私はずっと5人から笑顔と感動の涙を貰い続けるのだろうな。

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おもひでぽろぽろ

2019年夏に仲間内で書いてネタにしていた文章を公共の場にひっそりと晒してみようと思う。(一部改)

 

 

 

オタクの世界に足を踏み込んで、早7年。

当時の自分は大学2年生の夏をオタク全開で過ごすとは1ミリも予想してはいなかっただろう。将来に夢や希望を抱いていた(はずの)中学生の私に言いたいことはただ一つ。

 

キラキラ女子してなくてごめん、でも最高に幸せだ。

 

 

''彼ら"に興味を持ち始めたのは約7年前。中学1年生の頃だ。その頃再会した幼い頃の友達がオタクであった。最初は話を合わせるために必死に調べていただけの所謂、"ファッション"だった。正直しんどかった。

"彼ら"の中には、私と同級生のメンバーがいて、同じ歳なのに頑張ってるなぁ、綺麗な子だなぁ、ぐらいにしか感情はなかった。

 

そんなこんなしていた頃、だべり部()に所属していた私は、いつも通り部室でお菓子片手に他愛もない時間を過ごしていた。そんな時、今日少クラやん!早く帰らんと!という言葉が聞こえてきた。

 

少クラ?

 

その時には既に聞き馴染みしかないワードだった。私はその話をしている集団に頭を突っ込んでみた。幸か不幸か、無知であった私はオタクの"布教"の怖さをまだ知らなかったのだ。そこからの私の行動は言うまでもない。

 

母の気まぐれでBSが観れるようになってすぐの我が家。

母の気まぐれにこんなにも感謝したのはあの時くらいしかないのではないか。(ごめん)

その数ヶ月後わたしはスマホを手に入れた。その時の私が今目の前にいたらすかさずこう言うだろう。

 

はい、ご愁傷様でした。

 

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・・・・・・・・・・・・・やっちまってるよ・・・ほんと・・・

 

 

 

 

YouTubeを見漁り、ウィキペディアだのまとめサイトだのを読み漁っていたある日、ある事に気付いた。

 

あの時の野菜泥棒の棒読み少年ではないか。

 

どうして今まで気がつかなかったのか!!!!!

あの時受けた、小学生ながらの

 

このイケメンは誰だ!!!

 

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この棒読み加減は設定なのか??(ごめん)

 

あの衝撃は今でも忘れられない。

しかし当時小学生の私には、誰なのか調べるという能はなく、気にはなっていながらも記憶の片隅に追いやられていた。

しかし点と点が繋がってしまった以上、そこから沼に呑まれていくのに時間はかからなかった。

これが自担が自担である故である。

 

飽きっぽい事に定評のある私。

半年ハマればいい方かな、と思っていた。

しかし不思議な現象というものは続くものだ。

 

まず、CDとDVDはレンタルするものとして育った私が、どこで覚えてきたのか、CDを買っていた。

 

そして、月刊の少女漫画も自主的には読まなかった私が、ドル誌を毎月楽しみに買っていた。買い溜めたドル誌は自分の部屋に隠していたのだが、それを母親に見つけられた時の気まずさと言ったら、エロ本を見つけられた男子中学生のそれと同じである。

 

最終的にはシンプルに会いたくなった。

偶然、CDを買うだけでイベントに参加できる機会があった。先着順ではないにもかかわらず、私はオタク友達と夜中の1時に家を出てヤフオクドームのあの階段で朝まで並んだ。その甲斐あってか、"彼ら"まで3mくらいの位置を引き当てた。そのイベントでは、サプライズでハイタッチ会が開かれ、"彼ら"と物理的に触れ合うことができた。しかし、感動のあまりほとんど記憶に残ってない。それが初現場であった。

 

現場の味を占めた私は、コンサートに行くためにファンクラブに入りたいと言い出した。

そこから世に言う教育ママであった私の母親との戦いが始まった。

普通にファンクラブに入りたいと言っても勿論答えは、NO.

ならば、母親もこっちに引きずり込むまで。

結論から言うと、私の圧倒的勝利。

後々になって気づくのだが、彼女は若い頃から折にふれて、J事務所にはお世話になっていたようだ。血は争えない。

高校生になるタイミングでファンクラブに入った。初コンサートではがっつり自担にファンサをいただいた。

もう彼からは一生離れられない気がする。

 

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高校では同じグループを推す友達はいなかったが、"同業者"に囲まれてオタ充かつリア充な青春を送った。とてつもなく忙しい生活だったため、中学生の頃ほど気合の入ったオタク活動はできなかったが、少し金銭的に余裕も出てきて、現場の回数や買える円盤の枚数も徐々に増え、生活の片隅から離れることは決してなかった。でも、"そんなもん"だった。

 

 

そして大学生。

 

大学生になって、自由な時間・お金・理解のある友達に囲まれ、のびのび生活している。よく言われるようになったた言葉がある。

 

「ひどくなったね」

 

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全面降伏。

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(作間くん、作間担の皆様、事故っててごめん)

 

なにかあればすぐ遠征をし、円盤は当然の如く全形態ポチッとしてしまう。口を開けば担当の話。

近頃ではどうやらもっと若い子たちにも手を出しているとか。(写真使いで分かる)(ここを語ると今夜徹夜になるので割愛)

こうなってしまった一番の原因は恵まれたくじ運だ。恋愛運が全てくじ運に回っているらしい。リアコではない私には複雑な気持ちでしかない。だが、こんなにありがたい話はない。とてつもなく幸せである。文句の言いようがない。オタクの神様、いつもありがとう。

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私のオタク人生、薄っぺらいのは間違いないが、7年という月日はやはり長い。

オタクじゃなかったら友達になってないだろうなと思うような友人もたくさんいる。(むしろそれしか居ない。)オタクじゃない自分を想像すると末恐ろしい。

今まで同様、破産しない程度に幸せオタクライフを謳歌してほしい。今後、オタク歴何年まで続くか見ものである。

 

 

オタク、万歳